信長はスイーツ男子
信長と攻める
織田信長が30代前半からの10年近くを過ごした岐阜城。信長は小牧山城から、稲葉山城に移り、岐阜城と改めました。本能寺の変で自害したのが48歳ごろ。岐阜城の時代は、天下統一に乗り出した重要な時期にあたります。
志半ばで倒れた傑物の姿は岐阜市内のあちこちで見ることができます。JR岐阜駅前広場にそびえるのは「黄金の織田信長公像」。市民の寄付で2009年に建てられました。8メートルの台座に立ち、岐阜入りした人を正面から迎える3メートルの大男です。マント姿で右手に鉄砲、左手に西洋兜(かぶと)を抱えています。
高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソンのランナーはスタートから4キロ付近で「黄金の織田信長公像」の背中をとらえます。信長に従い、攻め入る気持ちで、序盤のモチベーションを上げてください。
馬で駆ける
金華山西の岐阜公園入り口には「若き日の織田信長像」がそびえます。彫刻家北村西望さんが1988年に完成させました。馬上で弓を引く一瞬をとらえています。背後には岐阜城。信長が馬で駆けていたところを走ることになります。
戦後に再建された岐阜城内で見られるのが「木造織田信長坐像」の複製。菩提寺の大徳寺総見院(京都市)の作を写しています。がっしりしたあご、束帯姿は現代人の信長のイメージと異なるような…。しかし、没後1年の1583年に制作されており、信長の真の姿に近いと考えられます。
おやつでもてなす
1569、72年には、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが岐阜を訪れました。72年には信長自らおやつを運び、もてなしたという記録が残っています。
信長は新しいものだけでなく、甘いものも好きなスイーツ男子のよう。甘いものを一緒に食べて、世界の情勢を尋ねる姿が目に浮かびます。
文化庁は2015年4月、「信長公のおもてなしが息づく戦国城下町・岐阜」として日本遺産第1号のひとつに認定しました。フロイスは金華山ふもとの信長の居館を「地上の楽園」と記しており、もてなしに満足した様子がうかがえます。
さらに2015年12月には、「清流長良川の鮎」が国連食糧農業機関の世界農業遺産に認定されました。信長は長良川鵜飼も楽しみました。
衣装に凝り、新しい味を求め、エンタメで人心をつかもうとした信長。権力者のもとで岐阜は豊かな文化を育みました。信長を感じながら21.0975キロを駆け、その後は甘いものを食べて心身を癒やしてください。